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日本ではじめて雑穀米をつくった内田弘(うちだひろし)はかつて大手生命保険会社の営業マン。弱冠26歳で支部長に就任するほどのバリバリの仕事人間。内田は言う「忙しいサラリーマンでしたからね。休みもろくに取らない。外食は当たり前で高脂肪・高タンパクに偏った食事でしょう。酒は毎日飲んでました。ちなみにたばこは1日80本は吸っていました。」
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学生時代はレスリングで体を鍛えていた。スタミナをつけるために肉ばかりを好んで食べていた。健康には自信があったのだが…。内田は言う「自覚症状はなかったんですが健康診断で痛風の前兆だとわかったのです。きちんと調べると肝臓も悪くてすぐ入院することになってしまいました。」それから2ヶ月仕事を離れた入院。ベッドの上で胃ガンのため37歳でなくなった母親のことを想った。その時、内田は31歳。人生観が180度方向転換となる。
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内田はこの入院中に健康に関心を持つようになった。院長は内田にこう言った「薬は飲まなくていい。食生活を変えなさい。10年かけて悪くしたのだから、10年かけて治しなさい。」
療養の甲斐あって無事回復。自らの体を通じて感じた危うい現代社会の食生活をなんとか好転させる仕事に就きたいと考え始めていた。そして第2の転換期が待っていた。
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退院後、仕事のかたわら訪れる鹿児島で、アワやキビなどの雑穀を生産する農家と出逢った。「売り物ですか?」と内田は問いかけた。「売り物じゃない。昔から家族の健康のために作って、うちで食いよるんじゃ」その時内田は身震いを感じた「これだ!!農家の人たちは、雑穀を自分たちのために作って食べている」そのことに気づき、今まで見向きもされなかった雑穀に注目した。
内田は周囲に驚かれながら会社を退社。農家の人たちのように「家族や子供、大切な人に安心して食べてもらえるものをつくろう」と基本概念を固め、ベストアメニティ株式会社を設立。雑穀を使った商品開発に情熱を傾けたのです。
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会社設立から4年間はひどいものだった。自然食品は売れず、健康教室を開いたりして頑張った。雑穀の有益性を教えていた時「どうやって食べたらいいのか」と質問され、アワやキビなど入れた雑穀米を思いつき、内田のさらなる戦いは始まった。
冷めた時のにおいなど、超えなくてはならないハードルがあった。何とかおいしくならないかと何百回と雑穀の配合比変え、試行錯誤を繰り返し「これはいける!」一番おいしい雑穀の配合比を見つけだした。その時開発から1年間が経過していた。
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「家族や子供、大切な人に安心して食べてもらえるものをつくろう」「毎日の食卓にのぼるおいしい雑穀米をつくろう」その想いが詰まった雑穀米。東京で初めて展示会に出した時のことである。雑穀米には誰も見抜きもしない。期待とは裏腹の結果に内田は大きなショックを受けた。しかし、何とか想いを伝えたい、という一心で通る人、通る人に雑穀ごはんを食べてもらった。すると立ち去りかけた人が一人、二人と戻ってきたのである。その日の雑穀米はすべて完売。長年の想いが実った瞬間だった。
内田は言う。「健康の基本は毎日の食事です。食生活の中にこそ健康法はある。伝統的な自然食品を中心にした食事。ごはんを基にした食文化こそ大事にしなくてはなりません。健康は食生活から始まるのです。」 |